以下、個人的な見解を述べます。
市場(いちば)に行く目的で行動することはありませんが、目的地の近郊に市場があると立ち寄ります。魚市場であれ野菜市場であれ雑貨市場であれ、歩ける距離であれば、食指が動き足が向きます。欲しいものがある訳でもなく何かを購入するでもなく、市場を歩く或いは散策する行為をただ愉しみます。時には立ち止まり、商品を眺め値札を一瞥し、場の匂いを堪能し可能ならば商品の手触りや感触を確認します。
市場の喧騒も居心地が良く、程よい人との距離感と賑わいに高揚感を感じます。市場にはたくさんのモノが集め置かれ、集まったモノと欲望の交換に没頭する行為を演出する場所として機能しています。
設計を選択する際にも市場的な場所があれば、設計を選ぶ面倒臭さよりも愉しみが増すだろうと思います。設計市場に立ち寄ってアレコレと設計を散策し選定できる場所は楽しかろうと想像します。がしかし、設計は出来合いの商品ではありませんし既製品でもありません。設計を目に見える形にするためには機能と要望と土地が最低限必要です。欲しい設計や渇望する建築は過去にある(あった)のではなく未来にあるだろう想定です。未来或いは近い将来にできるであろう設計や建築を、実物がない今現在、選ばなければならない故に設計を選択することや設計者を決めることには困難が付き纏います。未来にできるであろう設計や建築を選ぶ指標が何処にあるのかは選定する個人の考え方によって変わるのだろうと思います。
市場のような設計集積場所をつくるには乗り越えなければならないハードルが幾重にもあるのですが、動物病院設計の集積場所としてACプランは市場的に成りつつあると思っています。開かれた動物病院設計市場構想は今しばらくの思案と熟考を要します。動物病院設計の発信場所として進展する2025年にしたいと思います。