万葉集には歌人の和歌が掲載されています。和歌を選定する方はおそらく往時の和歌の大家であり、百人一首等も数ある中から選ばれし秀逸な句なのであろうと思います。和歌に関して、人より秀でた理解力もなく不勉強ですから、歌われている字面を読む程度の能力しか持ち合わせてはいませんが、同時代を或いは時代背景を考察する上では類稀、貴重な資料なのであろうと想像します。
万葉集や百人一首を曲がりなりにも教わったのは高校の授業、古典の時間です。和歌や作者名の暗記を求められていたと記憶しています。当時の教師は古典の奥深さを感じ味わって欲しいと考えていた?のかもしれませんが、多くの生徒の中の一人である私には、興味が湧かない分野であり他人事でした。優れた和歌か駄作なのかも理解不能、和歌を作った者や選定した者に至っては興味のかけらもなく、誰でも良かろう・・・と思っていましたし今でも似たような感覚です。良い和歌はその道に詳しい方々に語り継がれていけば良いと思います。和歌の作者に至っては、どこの誰だろうが良いと思っています。所謂、詠み人知らずで事は足ります。
建築設計を始めて長い時間が過ぎましたが、建築に関しても考え方は同様です。建築は多くの人の手が必要で多くの人の協力がなければ実現しません。建築設計は建築を実現するための一部を担っていますが、建築の全てではありません。機能を充足し、目的に合い、希望を叶える建築を実現するために建築設計は重要な位置を占めますが、多くの人の協力を仰がなければその実現には至りません。出来上がった建築を指して誰が建築を作ったのかと問われれば、建築を作ったのはクライアントですと答えるのが真っ当と考えています。建築設計に関して設計者の立ち位置を言えば”詠み人知らず〝で十分で、それ以上でもそれ以下でもありません。
良い建築は運が良ければ長く使われて記憶に残っていくかもしれません。なんだかんだと世間を騒がす建築でも駄作と判明すれば短期間で世の中から消えていくのが世の中というものです。
愛知県東海市 だいき動物病院 外観